こんにちは、青野です。
本日のブログ代打となりました。(渡辺さんは契約準備で大忙しです)
社長のブログ 「猫の死に場所」でふと、私も思い出しました。
私の実家は野田市の川の土手沿いにあります。
物心がついたころから、家にはいつも猫が数匹いました。
それは、飼ったというより、だれかに捨てていかれたり(本当に多かった)、野良猫がいついたり、
かわいそうなので、仕方なくえさをあげ、居ついていたような感じです。
田舎なので、猫が雨をしのぐ車庫や納屋もあり、多いときには10匹以上
の時もありました。
日々、「あれ、また増えた」、「いつもの猫は?」のような感じだったので、
それぞれ特徴がありましたが、どんな時も名前はすべて「ねこ」
ねこ、おいで~、ねこ、ごはんだよ~ です。
人慣れしている猫もいれば、ひと嫌いの猫もいます。
でも、長く居ついた猫もいましたが、私の記憶では1匹も最期をみてはいません。
ある日いなくなるのです。
母に聞くと、猫は最期は人に見せないらしいと・・・。
数えれば相当の猫たちがいましたが、本当に不思議です。
猫は気まぐれで、呼んでも寄ってこないけれど、
ごはんの時と、なにかの気分で寄ってきて、
ときどき喉をごろごろ鳴らし、あとは知らん顔。
でも、私はそんな気まぐれで、最期を人知れず迎える生き方を
愛おしく思うのです。
今は実家に猫は1匹も居ついていません。
これもまた不思議な事です。